面白いものを面白がる
30分で書けることを書いていこうと思う。
「書く」ことを自分の活動の主軸にしていく。何を書くかというと、おもしろい散文であれば何でもいい。名前をつけるとしたらやはり批評だろう。しかし、福尾匠の「エッセイではない批評などなく、批評でないエッセイなどない」という言葉がある。そのことにもっと自覚的になる。日々生きながら考えたこと(エッセイ)と、読みながら考えたこと(批評)が混ざり合っていく。そんな文章が理想である。
ここ最近かなり気が沈みがちだった。家族の病気のことが大きいのだが、より即物的には「時間がなく、金がない」からである。しかし、限られた条件でやるしかない。何をどうやろうか、と前向きに考えられるようになったのは、ちょっとしたきっかけがあった。
会社で弁当を食べながら開いたブラウザのおすすめ欄に、批評家のさやわかにインタビューした記事があった。『メタファー』という新作ゲームを開発したアトラスに密着取材した本をさやわか氏が上梓したらしい。ゲーム開発のリアルな舞台裏――たとえば開発終盤に発見された不具合や改善案のどこまでを採用し、どこまでに目をつぶるかという判断の基準についてなどが語られているとのこと。いかにも仕事らしい話だ。自分も印刷物を作る会社に勤めているからよくわかる。
その本や件のゲームが面白いかどうかは置いておくが、記事を読んで、「面白いものはまだこの世に存在し、面白いものを作ろうとしている人がどこかにいる」ということに目を開かされた。時間がないとか、金がないという問題はそう簡単には解決しない。しかし、自分の苦境とは関係なく面白いものは世界にある。わからんが、あると信じることができる。面白いものがある、という事実に比べれば、時間や金は二次的な問題だ。逆に面白いものがなければ、いくら時間や金があっても寂しいだけだろう。
自分自身の関心をふりかえれば、面白いものが好きだというシンプルな話で終わる。批評は、面白いことについてさらに面白く語る、というスタイルのことである。だから好きなのだ。
小さいときに恐竜やウルトラマンにハマっていた時期があった。しかし子どもが「ハマる」のは、「面白がる」のとは少し違う。ハマるとは、そのことばかりが頭を占めて、絵に書き、しゃべり、考えることだ。「沼る」というのはその続きだろう。何かを面白いと思うのはたぶん、もう少し大きくなってからだ。
高校生の時、細田守の『サマーウォーズ』を観て強烈に面白いと思った。文化庁メディア芸術祭に呼ばれた細田守の講演を父と聞きに行って、質問しようと最後に手を挙げたのを覚えている。挙げるのが遅すぎてあてられなかったが、「細田さんにとって面白いとは何ですか」と訊こうとした。
ハマるとは、対象を再現すること。面白がるとは、対象をいじり始めること。自分がやりたいのはこっちのほうだ。
30分経ったので今日はここまで。
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