231231

 ・「何度それをうまく表現し概念化しようと試みても、それでもなお私たちの解釈は依然として近似的なものに過ぎない、つまり依然として的を射ていない」ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』

・どんなにものを考えても、その理解の外側はかならずある。しかし、そのこと自体について考えることも、ものを考えるということの意味だろう。

・どうせ近似的なものに過ぎないのならば、近似的なもの同士をあつめて新しい物語を書いてしまえばいい。どれだけ本物に近いかよりも、寄せ集めが新たな本物らしさを帯びているかどうかの方が重要に違いない。そのための労力を惜しんではいけない。

コメント

このブログの人気の投稿

ルネサンスと非美学

地層、化石:福田尚代『日な曇り』

「実体の形而上学」とは何だろうか