231209
自分が進んでいく道がわからなくなってきた。いちど整理しておく。
まず、職業訓練、家事、育児、合唱団、その他のことにかまけて、やるべきことを先延ばしにしてはいけない。大前提。ただやる。「時間があればできるのに」では、ステージにのれない。
では何をやるか。とりあえず、一番近くにあるのは『存在論的、郵便的』だ。購読の進捗にあわせて読みつつ、自分なりに整理していくことができる。できるかはわからないが、やるべきだろう。一度通ったカーナビの道をたどり直すように。そして自分なりの言葉、自分なりの順番で語り直せるように。いちど大まかに書いてから、それを少しずつ更新していくのもよいだろう。原典に帰ることは原点に還ること。内側を向いて混ぜていったり、並べ替えたりするような方向。
また、作業をとおして、別のいくつかの糸口を見つけることができるだろう。東浩紀の別の著作とのつながりや切断を探してみるとか。他には、日本語で書かれた「批評」について、その中心的な手法である「脱構築」について、フロイトやラカンを中心にした(そしてデリダ=東の中心でもある)「精神分析」について、デカルト・カント・ハイデガーと連なる「西洋哲学」について、などなど。外側に向かって脈を広げる方向。枝や根のように。
もうひとつ、合間合間に挟んでいく、まったく別のタイプの本を読んだり、何かを見たりすることも残しておきたい。読書会もそのひとつだが、他にも小説と映画。批評とは違う種類の言葉と、言葉とは違う種類の世界。まったく離れた場所に飛び移る、跳躍的な方向。
目論見どおりに行った試しがないから、今回もどこかで修正を迫られるだろう。でもそれでもよい。My Go!!!!!的な意味で。
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