郵便本講座が始まる前に
この5月から、PARA神保町という劇場で実施される連続講座「東浩紀『存在論的、郵便的』を読む」を受講することになった。講師は福尾匠さん。
講座は、約1年をかけて、東浩紀の最初の著書を読んでいこうというもの。講座が始まる前に、自分なりに学びたいことをまとめておきたい。
「脱構築」を学ぶ。
東浩紀は自分が特に好んで読んできた著者である。また、それ以外にも比較的多く触れてきた書き手たち――巽孝之、佐々木敦、千葉雅也、松岡正剛――のスタイルを思い出すと、共通項として脱構築がある。
それが何なのかを知りたいのにそれをキーワードとして出すのも奇妙だが、ようは議論の逆説であったり、価値の転倒といったアクロバティックを経て、読み手のなかに新しい思考を誘発する文章=批評、だろうか。
そういったテキストを読むのが好きだし、自分も書けるようになりたい。そのために、『存在論的、郵便的』を読む。第一に、この本は東浩紀による、(脱構築の生みの親)デリダの脱構築の実践であり、第二に「●●ではなく●●でもない」と消去法的に語られがちだった脱構築という難解なスタイルに、「郵便・誤配」という積極的な可能性を見出した本である。こうした意味で、『存在論的、郵便的』は取り組むべきテキストだと感じる。
2016年に批評再生塾を受講してから7年近く経った。以降、友人との読書会などを通して様々な種類の本を読んできた。当時よりほんの少しだが思弁的な文章にも耐性がついた。ここいらで、次の思考につながる足場を組みたいと思う。

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