福田尚代・岡﨑乾二郎:美術と場所の話
福田尚代と岡﨑乾二郎という二人の美術家がいる。ここ何年か、美術館やギャラリーでどちらかの作品が展示されるときは、なるべく足を運ぶようにしている。
二人の作品(文章も含む。一方は小説も書き、他方は評論も書く)に明確な共通点はない。だがどちらの作品にも、見るひとを底の見えない池のふちでじっと立ち止まらせるような存在感がある。
今回はそれぞれ、最近印象に残った作品を紹介したい。
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昨日、さいたま市見沼の旧坂東家住宅で開催されている「時のきざはし」展に、福田尚代の作品を見にいった。
旧坂東家住宅は、江戸時代の民家を忠実に再現した市営の博物館。土間があり、囲炉裏があり、勝手(台所のことらしい)があり、奉公人の部屋がある。かなり大きい家だし、軒下からすごい量の銀貨が出土したそうなので、坂東家は結構なお金持ちだったようだ。
家のなかを巡ると、5人の美術作家の作品がところどころに置いてある。福田の作品は、おんな部屋と呼ばれる奉公人たちの小さな屋根裏部屋に2つ展示されている。
斜めの木板に段を取り付けた急な階段を上ると、黒くすすけた茅葺き屋根が上に広がるおんな部屋だ。部屋の中心には、30cm四方くらいの箱のなかに、白く透き通った花びらのようなかけらが無数に並べてある(《ハクモクレンページ》http://naoyon.web.fc2.com/haku.html)。もうひとつは、部屋の壁に空いた窓から、家の中心に向かって真っ暗な屋根裏をのぞき込むと、綿のようなほこりのようなふわふわの塊が積まれている(《山のあなたの雲と幽霊》)。これは衣類の袖をほぐして作られている。
階段を上るとき、屋根裏部屋の床板を断面図のように眺めることができる。床板の下には比較的明るい一階の部屋があり、上には昼なお薄暗いおんな部屋がある。理屈っぽく言えば仕事と生活、公と私の境目だが、福田の作品が後者の側に置かれていることとあわせて、その境目が印象に残った。
見に行った奥さんは、「美術館の白い部屋で見るよりも、しっくり来たね」という感想。たしかに、部屋のなかの作品は、民家で働いていた女性たちの生活から必然的に生み出された何かのようでもあった。
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web岩波で、岡﨑乾二郎の連載エッセイ「TOPICA PICTUS」が公開されている(https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/4101)。
「TOPICA PICTUS」は、2020年に岡﨑が制作した一連の抽象画群のタイトルである。それぞれの絵には、古今東西の美術作品から連想されたタイトルがつけられており、web岩波の文章はその解題のような位置づけである。
連作のなかにたとえば《モスコポロス、荷物を落とす》という作品がある。透明感のある黄色い絵の具をキャンパスにバターのように幾筋か厚く塗りつけたような絵画である。エッセイによれば、これは紀元前560年のギリシャ彫刻《モスコポロス(仔牛を担ぐ青年)》をモチーフとしている。
彫刻はタイトル通り、肩に生きた仔牛を担いだ青年の像である。それまでギリシャ彫刻は「正面から鑑賞されること」を前提として作られていたが、このころから全方位性への意識という新たな展開を迎えていた。《モスコポロス》において、青年はいまだある種の儀礼的な表情でまっすぐ正面を見据えているが、仔牛だけは横向きの身体からぐいっと首を曲げて青年の顔の横に頭を置いている。
岡﨑によれば、仔牛はすでに正面性から自由であった。それを聞くとたしかに、青年は自由を知っている仔牛に語りかけられて嬉しそうにも見えるし、岡﨑の絵もまた躍動する瞬間を待つ仔牛の肉体に見えてくる。
ちなみに、岡﨑は画集『TOPICA PICTUS』のまえがきでこう書いている。
2020年の2月の終わりから、アトリエに籠り、いままでになく集中し作品を仕上げることができた。どこにも行くことができないという条件は、かえって絵を通してどこにでも行けるという確信を強めてくれた。
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ある場所に置かれた美術が特別な顔を見せること。あるいは、美術によってこそ行ける場所があるということ。
これらの「場所」という言葉は、違うようでいて近いのかもしれない。岡﨑乾二郎は画集で「作品が作品という特別な存在になるために必要な何か」について書いていたけれど、古民家の屋根裏部屋や、古代ギリシャの遺跡は、どちらもおそらくそのひとつなのだ。

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