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240806

 同人誌の原稿の準備を、こちらでも展開することにする。 『存在論的、郵便的』のどこを面白いと思うか、という問いを、自分にとっての何度目かのとっかかりとしていく。 同書は、「デリダはなぜ奇妙なテクストを書いたのか」という問いを出発点にする。 これが次第に変形していく。おおざっぱにいうと「郵便的脱構築とは何か」に向かう。 「なぜか」と問うことが「なにか」を問うことになっていく。この変形は何を意味するか。 「なに」を問うことは、水平移動である。六角形のシルエットが提示されて、カメラが徐々に視点を横へと移動していくと、細長い側面が見え、それが鉛筆だったと分かるような。 「なぜ」を問うことは垂直移動である。対象がいま在る状況の原因となったものを遡って発見していく。川を上っていくようなイメージである。 「なぜwhy」と「なにwhat」は基本的に別の動きである。 しかし、「なぜ」と問うことがそのまま「なに」の移動――対象を別の視点から把握する動きになる思考もある。それを「超越論的な問い」と呼ぼう。 超越論的な問いは、まず「なぜ」と問う。しかしそれは対象の直接的な「原因」を問うのではなく、対象がそう在るための「条件」を問う。 条件とは、対象を含めた大きな構造、あるいは構造の下部にある柱、土台のようなものを指す。 だから、「なぜ」によって垂直に移動することで、対象込みの構造が見えるようになり、水平的な移動も実現される。川上へと遡ったらダムがあったような感じである。